主人公は小さい女の子です。始めは恵まれた環境で育っているんですが、両親がいなくなるところから不幸のどん底のような生活になっていく、という話です。んでその不幸ぷりも相当なものです。本当に救いのない不幸です。
絵も暗いモノクロで、それも相まってえらく気分の沈む絵本でした。
(↑あまりくわしくは書きません、気になったら読んで)
エドワード・ゴーリーについてよく知らないので(基本的にこういう作風らしいけど)なんともいえませんが、自分なりに思ったこと。
まず「不幸」というと思いつくのは「笛吹童子」の結びの一文にある『悪とは不幸の成れの果て』という言葉です。
これは笛吹童子に出てくる霧の小次郎という人物のことを主にさしていますが、詳しいことは割愛。
実際、自分はこの世界に「心の底から悪」(なんだかよくわからない言い方だけど)はそんなに多くはいないと思ってます。
じゃあ現実に起こっている事件やその未遂のような出来事は何なのか、というところですが。
こういうのの原因の、ごく平たく言うと「悪い奴」となるような者も、「悪いことをしよう」と心の底から思っているわけではなくて、力や意思が弱いためについ誘惑に負けてしまったり周りが見えなくなってしまっているだけということが多いのではないか、と思ったりします。
そう思うのは、まだ人を信じたり世の中が良くなるという希望を持ちたいから、というのもあります。
そう思っていれば世の中を変えていく力になるかもしれないとも思ってます。
楽観的な見方かもしれませんが、悲観的になったら人生もったいないでしょ。
それに、人を信じられないってとても不幸なんじゃないかとも思うし。
それから。大変に不幸な話を読むと、改めて自分の境遇を見つめなおすきっかけになったりします。
絵本のレビューにはなってませんが、今回はこんなところで。
(追記)
そういえばこの本、主人公の女の子の心情は書かれていません。
そこはあえて読み手に残しておいたのでしょうか?
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