今回は出身国と代表国が異なるという選手も何人かとりあげられました。自分はあまり選手の国籍は気にしないで見てますし、平和とスポーツの祭典であまり国ごとの成績というのは気にしなくてもいいんじゃないかなーと思ってたりします。国籍を変えて出ることはそんなに奇異の目で見るもんじゃないし、それによって多種多様なスポーツが世界に広まればいいですね。
(なんでそこ突っ込むかというと、どうも「国籍を変えてまで」っていうフレーズがひっかかっちゃったんですよね。選手の入場のしかたも、閉会式風の「国地域関係なく」のほうが楽しいかなーと思ってたりします。世界を知るという意味では国地域ごと入場の方がいいんですけど。)
でも選手の国替えを簡単にしすぎると強化資金のある国に才能のある人が集まりすぎて格差が広がってしまうのかも。
うーん、なら国という枠を取っ払ってしまえばいいのでは?
でもそれだとチーム種目はどうするんだって話になるし、国ごとだからこそ盛り上がるってのも事実だよね。応援するなら母国や出身国やゆかりのある国がいいし、選手のバックグラウンドスポーツ事情を理解するのにも国や地域の情報は重要だったりするし。
・・・結局、運営と開催は今のような感じでいいのかなあ、やっぱり。
話がややこしくなる原因は、それぞれのスタンスの違いにあるのかもしれません。
見る側は国別の方がもりあがるけど、選手はそうとも限らないですから。「国の威信のため」「故郷の人たちを勇気づけたい」という選手もいれば、「あくまで自分が世界のトップに立ちたい」という選手もいます。開催側としては・・・どうなんだろう?
それに、どうしてもスポーツに国が関らざるを得ないのも事実ですね。選手の強化にはお金がかかるから国の援助は必要だもんね。
そうなるとやっぱり、国ごとの成績比較や対抗意識が生まれてくるのは自然なことなんだなあ。
なんだか文章が右往左往してしまったのでまとめてみると、
・国や地域の枠を強く意識するのはなんか変じゃないかと思った
→でも、ある程度国や地域の枠でとらえることも大事というか必然だと思った
・・・まとめてみたらすげえ短かった(笑
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