ニュースで言っていましたが、今日は「交通事故被害者の日」だとか。(聞き間違えていたら御免なさい)
今日も轢き引き摺り事件がありました。交通安全については
以前にも触れましたが、今回は事故が起きてしまった後について少し考えてみようかと。
以前にあった引き摺り事件(事件であって、事故ではないと思います)では「引き摺って走っていれば被害者が助からないのは解っていた」という加害者の証言があるらしいです。
ワイドショーなんかではこの証言を引き合いに出して「こんな事を考えるのは極めて異常であり到底許されることではない」という意見が聞かれます。
「許されない」というのは勿論その通りですが、「異常」かと言われるとそうでもないだろうというのが自分の意見です。
まず、車の運転手にしてみると、
「ちょっとした不注意」かどうか判りませんがとにかくバイクなり自転車なり歩行者なりにぶつかる。ここでほとんどの人は動転するでしょう。
自分は人を轢いてしまったということに気付き、精神が異常な状態に追い込まれます。特に急いでいるときだったりしたら元々それ(急いでいる理由)に気を取られている状態なので、不意の事態急転に対し正常に対処する能力は落ちているはずです。
そうするとパニックになります。なんとか心を落ち着かせようという気持ちになります。安定した状態、平常の状態に戻ろうとします。
その一つの方法が「そのまま走り続けること」です。変わらずにそれまでの動作をし続けることで平常に返ろうとするわけです。
被害者をますます傷つけると解っていてもそれ以上に自分が平常に返らなければという方にしか体が動かないということがあっても不思議ではありません。
少し言い方を変えると、「現実から目を背けることで必死に平常を取り戻そうとする」という言い方も出来るでしょう。
いずれにせよ「目の前にある事実=事故」(事故の原因がどこにあるかはともかく)に対し、適切な対応(とにかく止まって応急処置とか人を呼ぶとか救急車とか)を取れる状態に無かったということではないかと思います。
(勿論証言からは「加害者が極悪で意図的に引き摺った」という解釈も成り立ちますが)
事故が起きた際にどのようなパニックになるかはそのときの精神状態や事故の形態によって変わってくるわけですが、たまたま酷く混乱して対処より回避に動いてしまった結果だということなのかも知れません。
ワイドショーってけっこうスケープゴートを作りたがる(というと言いすぎかもしれませんが)ので、なんでもかんでも報道されると異常扱いしてしまう癖のある人は落ち着いて考えるようにしましょう。
尤も、スケープゴートを作ること自体が「嫌な事を異常なものとして扱うことで平常を保とうとする」行為なんですよね。
なので、引き摺り事件の加害者が「被害者をスケープゴートにして平常を保とうとする」、ワイドショーは「加害者をスケープゴートにして平常を保とうとする」という構図だとしたら、「同類じゃないかあんたら」と言いたくもなります。
もちろん「事故った時に対処できないなら車なんか運転するんじゃねえや」と思うでしょう、誰でも。しかしそれを自分に問うた時、よく考えてください。自転車だってスピードが乗っていれば充分な殺傷能力を持ちます。いつどんな事態でも適切に対処できる自信はあるでしょうか?
「人の振り見て我が振り直せ」と昔から言われていることですね。